曲率が運命を分ける―イェンセンの不等式と変動の意味(2025年11月)
イェンセンの不等式は「凸関数では E[f(X)] ≥ f(E[X])、凹関数では逆」という、平均をとる順序で結果が変わる非線形の心臓部を示す定理である。直感的には、凸な曲線は平均化の前に曲げるほど(=先に f をかけるほど)数値が大きくなり、凹なら小さくなる。二点間の割線が凸関数の上に位置するという幾何学から導かれ、確率論では期待値の形で一般化される。両辺の差 E[f(X)] − f(E[X]) は「Jensen gap」と呼ばれ、非線形性が結果に与える影響の度合いを数える物差しだ。
この不等式は「単純平均が現実を誤る局面」を制度的に教える。たとえば対数は凹関数なので、E[log(1+R)] ≤ log E[1+R] が成り立つ。ゆえに複利成長(時間平均)は、同じ平均リターンでもボラティリティが大きいほど目減りする。「算術平均>幾何平均」という有名な関係は、実はイェンセンの不等式の影絵である。投資の世界で言う"ボラティリティ・ドラッグ(variance drain)"はこの凹性の帰結で、複利の実効成長率が平均リターンから引き下げられる現象を指す。
理論モデルでも同じ像が見える。価格対数が正規の幾何ブラウン運動では、S=exp(X) の凸性のため E[S] = exp(μ + σ²/2) が exp(E[X]) より大きくなる一方、投資家の関心対象である時間平均の成長率は log の凹性ゆえに μ − σ²/2 へとボラティリティ分だけ削られる。ここでも「どちらの側で平均するか」が決定的で、期待値(一回平均)と時間平均(複利)が乖離する理由を与える。
応用の幅は広い。AM–GM(算術平均 ≥ 幾何平均)は、log の凹性にイェンセンを当てはめた特別例にすぎない。確率論の教科書レベルでは、g(x)=x² の凸性から Var(X)=E[X²]−E[X]² ≥ 0 を一発で導ける。こうした「関数の形」から平均の関係を読み解く技法は、LOTUS(統計家の無意識の法則)と組み合わせると、分布さえ分かれば E[g(X)] を直接評価できる実務的な計算手順にもつながる。
戦略設計への含意は明快だ。凸性の領域(f が上に曲がる)では先に非線形を通してから平均するほど得をし、凹性の領域ではその逆になる。タレブが強調する「凸性を買い、凹性を売る」「中庸より二峰性(バーベル)」という姿勢は、まさにイェンセンの順序効果を損益形状に翻訳したものだ。長期成長を最大化するケリー基準も、log の凹性を前提に「幾何平均(時間平均)を最大化する賭け方」を与える点で、この枠組みに立っている。
要するに、平均は一つではない。どの関数で世界を「曲げて」から平均するか——この順序が、リスクの意味と報酬の実体を決める。イェンセンの不等式は、予測よりも「形」を設計せよという実務的教訓であり、変動を敵にも味方にも変える、非線形のコンパスなのである。
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