Saturday, November 15, 2025

山手樹一郎(1899-1978)――塩豆の塩気、講談の拍子木

山手樹一郎(1899-1978)――塩豆の塩気、講談の拍子木
山手樹一郎の筆は、講談の拍子木の音とともに立ち上がる。幼くして貧しさに追われ、塩味のついた山の手の豆を食べて涙したという逸話は、彼の物語に通う「空腹の記憶」を象徴している。働く者の体に残る疲れと、明日へ繋ぐ小さな希望。その二つを同時に抱く読者の胸の高さへ、山手は物語の視線を合わせ続けた。だからこそ彼の勧善懲悪は、教訓の棒ではなく、生活の疲れを一瞬だけ軽くする杖のように機能したのである。

時代背景は二度の断層をなす。戦前、都市の大衆文化が膨張し、新聞連載と雑誌、映画の隆盛が「痛快」を求める読者を育てた。講談口調でテンポよく運ぶ山手の語りは、この回路にぴたりとはまり、『はだか大名』『鉄火奉行』『青雲の鬼』といった時代物を矢継ぎ早に送り出す。剣戟と義理人情、悪を討つ快感。だがその爽快さの底には、貧しさの痛覚を知る作者の遠慮がある。笑わせても、突き放さない。勝たせても、驕らせない。職人の間合いで、読者の呼吸を乱さずに昂揚を作る。

敗戦は価値の地図を裏返したが、山手の仕事は止まらない。焼け跡と闇市、長蛇の配給。働いても報われぬ日々に、娯楽小説は"心の炊き出し"となった。貸本屋が街角に増え、勤め帰りの労働者や主婦、復員兵の手に薄汚れた単行本が渡る。山手はそこで、講談の律動をさらに平明にし、善悪の輪郭を濁さず、勧善懲悪の結句で読者の胸を真っ直ぐに抜けさせた。単純さではない、整理の力である。混沌の時代に必要とされたのは、せめて物語の中だけでも道理が通る世界だった。

家族史の影も、ページの余白に確かに刻まれている。シベリア抑留から長男が帰還したという報せを「歴史の除夜の鐘」と受け止めた記述には、個人の歓喜と時代の惨禍が二重写しになる。物語の中で悪が討たれるたび、作者の胸のどこかで「取り戻せなかった時間」への手向けが鳴っていたのだろう。山手の痛快は、現実逃避の軽さだけで成立していない。敗者にも分け前を、弱者に顔を、庶民へ敬意を――そうした倫理が、口上の陰で静かに支えている。

山手樹一郎の職人性は、量産の数字で測り尽くせない。同じ調べを外さず、微妙に抑揚を変える芸は、寄席の芸人と似ている。決まり手を知りながら、観客の今日の機嫌に合わせて一拍伸ばす。勧善懲悪という枠の内で、怠けず、驕らず、約束を守る。戦前から戦後へ、庶民が日々の重労働を忘れる数十分を保証する――その責任感こそが、山手の「痛快」を時代の慰藉に変えた。塩豆の塩気のように、少しだけ口中を刺す哀しみが、後味を確かなものにしている。

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