朝の風俗学 ― 一九七〇年代の「無意識としての習慣」をめぐって
この随筆は、起床直後の身体感覚から身支度、朝食までを、一つひとつ観察の対象に据える構えが特徴です。まず、眠りと覚醒のあいだで変化する身体のはたらきに意識を向け、「目やに」を拭いながらその成分を想像するという微視的な視点で導入されます。覚めた直後の知覚・触覚・衛生行為を、当たり前ではなく問うべき現象として扱うスタンスが貫かれています。
つづいて衣服。パジャマを脱ぐ動作から、「パジャマは日本でいつ使われ始めたのか」「寝巻という習俗はどの時代に遡るのか」と、日用品の来歴へ発想が跳びます。ここでは素材(生地)の判別法まで思考が及び、生活素材学的な民俗誌の関心が滲みます。習慣は機能に還元できず、歴史と流通と身体感覚の結節として現れることを示しています。
朝食場面では、家族のやり取りを介して「今日の献立は?」「朝、味噌汁」というやり取りが示され、戦後日本の標準的な朝食像(味噌汁を核にした一汁の型)が象徴的に提示されます。ここでも作者は味噌汁の当然さを当然視しません。献立の記憶、うっかり忘却、そして「なぜそれを当たり前だと思うのか」という問いが、家庭の会話から立ち上がります。
さらに、衣服の色や染料への関心、人間の色彩感覚の個人差を測る方法はあるのか、そしてそのスキルは風俗としてどんな流れにあるのかといった具合に、日常の選択(服・色)を社会技術史と感覚の個体差に接続して考えます。ここで描かれる「朝」は、単なる一日の始まりではなく、生活史・物質文化・感覚の社会性が交差する現象学的な場です。
要するに本篇は、「朝のルーティン」を道具(寝具・衣服・食器)、素材(生地・染料)、身体(覚醒・感覚)、会話(家庭内のやり取り)という層に分解し、それぞれの由来や「なぜそれを選ぶのか」を問い直す試みです。習慣=無意識に沈んだ文化を一度見える化することで、生活が歴史と経済、技術、ジェンダー役割分担まで、多層の力学で形づくられていることを静かに露わにしています。こうした観察の語り口は、七〇年代の生活文化論・民俗学で高まった「日常を記述する」潮流とも響き合います。
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