闇に刷られた真実――北朝鮮偽札戦略の軌跡 1990年代から2000年代前半
北朝鮮は、1990年代半ばから2000年代にかけて、世界でも類を見ないほど高精度な偽造100ドル紙幣、いわゆる「スーパーノート」を流通させたとされている。これらの偽札は、米国財務省やシークレットサービス、CIAによって長年にわたり追跡され、ついには国家主導の計画的な違法行為として国際的非難を浴びることとなった。印刷された紙幣は、肉眼では真贋の区別が困難なほど精巧であり、使用された紙やインクは、通常の市場で手に入るものではなく、国家機関の資源でしか再現できない水準に達していた。
対象となったのは、主に1996年以前に発行された旧デザインの100ドル紙幣である。その印刷技術の高度さから、単なる犯罪組織の仕業とは考えにくく、北朝鮮の中央党、国家保衛省、さらには労働党の秘密部門である「39号室」が、これを組織的に管理していたとする証言が複数確認されている。すなわち、この偽札は北朝鮮という国家が自らの延命と外貨獲得のために、積極的に関与した「国家犯罪経済」の証とされている。
この偽札は、貿易会社や外交官を通じて各国へと流通された。とくにマカオに所在する「バンコ・デルタ・アジア」(BDA)という銀行が資金洗浄の拠点となっていたとされ、アメリカ政府はこの銀行をブラックリストに指定した。また、北朝鮮の外交官たちは、第三国のカジノや闇市場を経由し、偽札を現金化していた。この過程には中国のトライアド、日本の暴力団などの組織犯罪ネットワークも関与しており、偽札は正規金融システムの隙間から世界中へと拡散していった。
2002年にはドイツ、チェコ、ロシアで偽ドル札が押収され、その出所が北朝鮮にある可能性が強く示された。また、同年以降、外交官が関与した複数の事件が浮上し、偽札は外交特権を悪用して各国へ持ち込まれていたことが明らかになった。2004年には、マカオの銀行に開設された北朝鮮関係口座が凍結され、これが国家ぐるみの資金洗浄の決定的証拠として国際社会の注目を集めた。
加えて北朝鮮は、偽ドル札と並行して偽造されたブランド商品、例えば偽Viagraや偽マールボロといった偽薬・偽たばこの製造にも関与していたとされる。これらもまた、制裁下にある北朝鮮が外貨を得るための手段であり、経済的苦境の中で国家が直接関与する地下経済を育んでいたことを示している。
このように、北朝鮮の偽札活動は、単なる裏社会の犯罪を越えた、国家が自ら構築した「偽りの通貨帝国」である。それは物理的紙幣を通して、外交交渉の舞台裏にまで影を落とし、米朝間の緊張や核問題とも複雑に絡み合っていた。いわば、ドル札の裏に刷られたのは、北朝鮮の孤立した国家戦略そのものであり、国際社会が直面した「通貨による無言の挑発」でもあった。
国家の体裁を保ちつつ、非合法のルートで延命をはかる。そんな北朝鮮の姿は、戦後世界秩序が前提としてきた「法と通貨の信頼」を根底から揺るがすものである。偽札は、ただの紙ではない。それは、国家と闇、信頼と裏切り、制裁と対抗の、張り詰めた緊張線が交差する、現代の通貨戦争の最前線に他ならないのである。
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