異端の美は肌に刻まれる――松田修と刺青の思想(1970年前後)
一九七〇年前後、華やかな成長の影で、日本社会は異端や禁忌を急速に飼い慣らしていた。刺青もその一つ。それはかつて、罪人や博徒が身を賭して刻んだ"自己否定の美学"であり、反体制の象徴だった。だが時代はそれを装飾に変え、流行として消費しようとしていた。
文芸評論家・松田修は、その流れに鋭く抗った一人である。三島由紀夫や澁澤龍彦の作品世界を読み解いた異端の思想家は、刺青の「破滅の予兆」こそが本質であると語る。「刺青が日常に溶け込むことを、私は絶望的に嫌う」と記す彼の筆には、かつての異端が"安全な装い"へと変質していく現代への怒りが込められていた。
当時、政治的反体制思想は全共闘や革命理論として隆盛を極めていたが、松田はそこから距離をとり、身体と文化の深層に切り込んだ。「文化的反体制」としての刺青論は、鋭く、孤高で、そして静かな絶望に満ちていた。
異端の美を失った時代に、彼の言葉だけが、肌の奥でまだ疼いている。
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