神経の複雑さは意識の源ではない ベルクソン「物質と記憶」 一九世紀末科学思想の射程
十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて、脳科学と生理学は急速に発展し、神経の構造や刺激と反応の対応関係が精密に解明されつつあった。こうした科学的情勢のもとで人間の精神は神経興奮の総和として説明できるという機械論的な見方が強まり、脳こそが意識や表象を生み出す中心だと考える傾向が広がった。しかし同時にどれほど神経の構造を分析しても主観的な体験の質は説明できず、科学の進歩がむしろ脳=意識の生成装置という考えに疑念を投げかけ始めていた。ベルクソンはこうした時代の空気を受け止め、神経系を因果の源とみなす発想を反転させる。彼にとって神経系とは世界から届く膨大な作用を弱め、選び、取捨する信号局にすぎず、意識を生み出す装置ではない。世界がまずあり、身体がその一部として働�
�、神経はその接続を調整するだけであるという見方は、当時の機械論に代わる視座を提示した。脳に過剰な起源性を与えるのではなく、身体と世界の関係から意識と記憶を理解し直す道筋は、ベルクソン哲学の特徴であり、のちの記憶論や自由論へ続く重要な基礎を形づくることになった。
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