丘の記憶は誰のものか──美瑛エコミュージアムが描いた風景と暮らしの再生(1980年代-1990年代)
1980年代後半から1990年代にかけて、美瑛の丘は一躍北海道らしい原風景として全国に知られるようになった。テレビCMや写真集が次々と撮影され、観光客は増え続けた。しかし、その美しい景観は農家が日々の営みのなかで耕し、育て、季節ごとに色を変える生活の現場である。観光地として脚光を浴びる一方で、無断で畑に入り込む旅行者や撮影トラブルが増え、地域の人々は喜びと悩ましさを同時に抱えていた。観光と開発偏重の地域振興が曲がり角を迎えたこの時期、美瑛が選んだのがエコミュージアム構想だった。
エコミュージアムとは、地域そのものを屋根のない博物館と見なし、自然、文化、暮らしを住民の手で再発見し、未来に伝える思想である。フランスで生まれたこの概念は、日本が直面していた地域の個性の喪失や観光の画一化、箱もの行政の限界といった課題に適合していた。美瑛はこの思想を丘の農村景観に応用し、美瑛町美術館や北西の丘展望公園、旧国鉄建物の保存活用を地域の物語を語る拠点へと変えた。これらは単なる観光施設ではなく、丘がどのように形成され、どんな作物が育ち、どのような歴史が積み重なってきたかを共有する窓として機能した。
特筆すべきは、美瑛が住民を研究者、語り部、学芸員として位置づけた点である。地域学芸員の養成や研究会が生まれ、住民が風景の意味を解きほぐし、来訪者に伝える仕組みが整えられた。これは当時の日本で広がりつつあった市民参加型まちづくりとも響き合い、町がどのように自己決定していくかという新しい自治の形を提示した。
この動きは後に、美瑛が呼びかけて誕生する日本で最も美しい村連合につながっていく。丘の景観は観光資源ではなく、農業、暮らし、風土の結晶であり、守るべき生活文化そのものだという考えが全国へ波及した。美瑛エコミュージアムは、風景を商品ではなく共有の遺産として扱い、住民の手に取り戻す試みであった。
No comments:
Post a Comment