記憶の責任 ― 昭和49年の野坂昭如
1974年、戦後日本が豊かさの中で自らの過去を忘れようとしていた時代。野坂昭如は「作家・歌手・被告・政治家候補」という四つの顔を持ちながら、あえて混沌のただ中に立った。経済成長の陰で社会の歪みが膨らみ、政治への信頼が崩れかけていた昭和49年、彼は「虚飾の時代に対して言葉で抗う」数少ない表現者だった。
彼の語り口は、皮肉と諧謔に満ちている。「選挙運動は最も古い方法で、不真面目にやるしかない」と言い切るその口調には、金権政治への痛烈な風刺がある。数十億円を投じる候補者たちに対し、「六百万円で公明選挙をやる」と笑う姿は、制度そのものの滑稽さを暴く演劇のようでもあった。
だがその軽妙さの底には、深い痛みがある。敗戦直後に一歳三ヶ月で妹を飢えで亡くした体験を語りながら、彼は問いかける。「天皇はどういう顔をしてぼくに言い訳をするのか。」この言葉は、単なる反権力の発言ではない。戦争の責任を個人の記憶から問う、きわめて倫理的な叫びであった。
当時、靖国神社法案の強行採決、紀元節復活の動きなど、戦前の記憶を呼び戻すような政治の風が吹いていた。野坂はその流れに抗して、「記憶を風化させることこそ最大の罪だ」と語るように、個人の痛みを社会的責任へと結びつけた。彼の中では、文学も政治も区別がなかった。どちらも「人間の尊厳を守る表現」であり、その意味で彼は政治家である前に、最後の戦後作家だった。
野坂の言葉には、昭和という時代が抱えた二重性―繁栄と空虚、自由と忘却―が刻まれている。ベトナム戦争終結の報が流れるなか、彼は「戦争を知らない子どもたち」世代に向けて、黙して語らぬものの重さを訴えようとしたのだ。
この年、昭和49年、彼の声は戦後の終わりと、記憶の時代の始まりを告げていた。
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