光と影のあわいに咲く言の葉――清少納言と『枕草子』の世界(平安中期)
時は天暦から寛弘へと移る頃。西暦にしておよそ970年から1000年、藤原氏が摂関政治を極め、都はかつてない栄華を誇っていた。が、それはまた、激しい権力の渦が絶え間なく渦巻く、静かなる戦の世でもあった。そんな平安の京に、一輪の才華が咲いた――清少納言である。
彼女は清原元輔の娘として生を受け、漢詩や和歌に通じる教養深き女性であった。当時の女性は主に仮名で文章を書いたが、清少納言は漢文も読み書きし、男性官人に負けぬ知力と機知をそなえていた。その文才が認められたのか、彼女は一条天皇の中宮・藤原定子に女房として仕え、やがてその宮廷生活を、鮮やかな筆致で記録していく。
それが、千年を経た今も読み継がれる随筆『枕草子』である。
この作品は、おおまかに三つの型――分類して挙げる「類聚的章段」、日々の出来事を記した「日記的章段」、そして心の動きや感動を綴った「随想的章段」からなる。
冒頭の「春はあけぼの」(第一段)は、誰もが耳にしたことのある名文であろう。春の暁を、そして夏の夜・秋の夕暮・冬の早朝を、五感を研ぎ澄まして描写したこの一文は、自然の移ろいと感性が融合した珠玉の詩である。
彼女の目は、愛らしさにも鋭敏であった。「うつくしきもの」(第八段)では、小さな児の動きや、雀の子の仕草など、命の小さな震えに愛おしさを見出す。反対に、「ありがたきもの」(第二十七段)や「にくきもの」(第百五十六段)では、世の理不尽や人の滑稽をあげつらい、皮肉とユーモアが交錯する。
とりわけ印象的なのは、「香炉峰の雪」(第七段)である。ある雪の日、中宮定子が、漢詩に詠まれる香炉峰の雪はどのようなものかと問うや否や、清少納言はすぐさま障子を開けて見せる。知識と即興、そして美への感受性を一瞬にして実演したこの場面は、彼女の才気と、主君定子との知的な絆を象徴する一幕である。
しかしその栄光の影には、藤原道長との政争で次第に追い詰められてゆく定子の姿があった。父・道隆の死後、定子の一族は失脚し、やがて彼女は若くしてこの世を去る。『枕草子』には、その没落の哀しみを前面に出すことはないが、「なほあけ暮れの心地こそ」(第二百五十二段)や、「この世にたとへば」(第二百七十五段)といった章段には、時のはかなさを見つめるまなざしがしずかに流れている。
「大進生昌が来たる」(第二百四十九段)や、「殿などのおはしましつきて」(第百九十三段)といった章段では、宮廷の人間模様がにぎやかに描かれ、読者を千年前の紫宸殿へと誘う。化粧に慌てる女房たちの姿、教養に欠ける男官人への冷ややかな視線などが、しなやかな筆致で綴られる。
清少納言の人生は、定子の死とともに宮中を去った後、はっきりとした記録が残っていない。しかし、彼女の筆が綴った一語一語は、まさに平安の光と影のあわいに浮かび上がる、言の葉の宝石であった。
たとえば、「すさまじきもの」(第百三十七段)――夜に犬が物陰で鳴くことや、正月にやせ細った子どもなど、場違いな情景を並べて笑いを誘いながらも、そこにはどこか、現実の厳しさが透けて見える。
それは、優美なる宮廷の中にも、ささやかな怒りや、祈りが息づいていたことを物語る。『枕草子』は、ただの装飾ではない。そこに刻まれたのは、千年を生きる「女のまなざし」なのである。
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