知的遊戯の名手——表現と計算の1970年代
1970年代、日本の映像文化は大きな転換点にあった。映画はかつての輝きを失い、テレビが人々の生活に浸透していく中で、俳優・伊丹十三は自らの「表現の居場所」を模索していた。彼は銀幕を去りつつも、エッセイやテレビを舞台に、知性とユーモアを武器に表現を続けた。演技の間合いや言葉選びにまで計算が行き届いた彼の姿勢は、単なる俳優を超えた「知的な演出者」として注目された。
当時の映画界では実録ものやロマンポルノが隆盛し、伊丹のようなインテリ風キャラクターが活躍できる場は減っていた。だが、彼は退かず、むしろ自己表現の幅を広げていく。文学やメディアが交差する舞台で、彼は話術と洒脱さを武器に「文化人タレント」としての地位を築き、同時代の野坂昭如や五木寛之らと並び称される存在となる。
そして彼は、内に秘めた映像への情熱を忘れていなかった。1984年『お葬式』での監督デビューは、長年の演出欲の結実であり、笑いと風刺を織り交ぜたその作品は日本映画界に新風を吹き込んだ。以降の『マルサの女』『タンポポ』などもまた、知的でユニークな視点で社会を切り取る名作として評価される。
伊丹十三という人間は、常に「表現とは何か」を問い、計算と情熱の間で揺れ動いていた。俳優、作家、語り手、そして監督——そのすべてを貫くのは、表現の快楽を知り尽くした「知的遊戯の名手」としての姿だった。
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