乱世を裂いた竹槍の記憶――渋谷事件と高橋岩太郎の時代(1946年)
1946年1月。敗戦の影がまだ色濃く残る東京・渋谷で、一発の怒声が街を切り裂いた。そこから始まったのが、戦後初の大規模抗争――渋谷事件である。終戦から半年、日本社会は秩序の根を失い、復員兵、闇市の顔役、愚連隊がぶつかり合う無政府の時代が広がっていた。警察機能は麻痺し、連合軍の占領下、統制経済の残骸のなかに人々は生きていた。
この無秩序を舞台に現れたのが、本国粋会落合一家六代目総長・高橋岩太郎である。1912年、中野に生まれた高橋は、少年の頃から愚連隊として修羅場をくぐり、戦前戦中の博徒社会で頭角を現した。落合一家は江戸以来の伝統を持つ関東博徒の名門。その血を継ぐ高橋は、戦後の混迷のなか、関東の侠客を糾合し、本国粋会を再興する。
渋谷事件は、小さな揉め事から始まった。大阪から東京に進出してきた関西愚連隊との衝突は瞬く間に激化し、高橋は130人を超える関東の愚連隊と博徒を動員。木刀、竹槍、拳銃までもが飛び交い、渋谷は一夜にして戦場と化した。警察では手に負えず、米軍のMPが出動する異常事態。戦後の渋谷駅前には、臨時の戒厳令のような空気が張り詰めていた。
この抗争は、関東と関西、二つの大博徒勢力の力比べであり、同時に無秩序のなかに秩序を取り戻そうとする試みでもあった。高橋岩太郎は、ただの暴力者ではなかった。彼には仁義があった。筋を通すことに命をかけ、侠としての矜持を失わなかった。その姿は、戦後の博徒たちにとって一つの範を示すものだった。
やがて渋谷事件は、暴力団対策法制整備への道を開く契機となり、国家権力は本格的に暴力団排除へと動き出す。だが、それは同時に、侠客という名の文化が静かに終焉に向かい始めたことを意味した。高橋岩太郎は、2002年、その濁流を見届けたあと、静かにこの世を去る。竹槍が乱れ飛んだ渋谷の夜を、彼はきっと、何度も心の中で振り返ったことだろう。
それは、ただの抗争ではなかった。秩序を失った国の片隅で、筋を通す者たちがいた。あの夜、渋谷の空に響いた怒声は、乱世に義を問うた声だった。
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