Tuesday, November 11, 2025

模索舎の灯の下で 全共闘の残響(1970年代前半)

模索舎の灯の下で 全共闘の残響(1970年代前半)
野坂昭如は、1970年代初頭の発言で「全共闘と今でも付き合っている」と語った。すでに学生運動が敗北を迎え、街のバリケードが崩れた後の時代にあって、その言葉は単なるノスタルジーではなく、思想的な連帯の証であった。彼が接点を持った「模索舎」は、1968年に創設された小出版社であり、商業主義に背を向けた"もう一つの文化回路"として、当時の若者や知識人にとって精神的な避難所となっていた。
模索舎は、全共闘世代の理念を受け継ぎながら、検閲や猥褻裁判、報道規制など、言論の自由をめぐる問題を現実の闘いとして扱っていた。野坂自身、過激な性表現を理由に作品が摘発され、裁判に立たされた経験を持つ。彼はその出来事を通して、「言葉の自由を守るということは、人間の生きる権利を守ることだ」と語っている。こうした視点は、学生運動が形を失ってもなお"抵抗の文化"として生き続けていた時代の証言であった。
1970年代前半は、高度経済成長の陰で体制への適応が進み、社会は安定と無関心の均衡に沈みつつあった。しかし、模索舎を中心とする地下出版やインディペンデントな文化運動は、「生きるために語る」ことの倫理を保持し続けた。野坂がその延長線上で政治や文学を語るとき、それは単なる"反体制"ではなく、"沈黙しない個人"としての誇りの表明だった。
全共闘の敗北後も、模索舎は"表現の避難所"として存在し続けた。野坂の姿勢には、権力への抵抗と文化の独立を両立させようとする戦後知識人の矜持が宿っている。彼が若者たちの挫折を「負けではなく、生き延びる形の闘い」と捉えたように、模索舎との交流は、政治の敗北を文化の継承へと変えた一つの灯火だった。

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