テキヤの家に響く母の叱声、バブルの熱気に沈む夕暮れ ―1980年代後半―
主人公があんず飴を二千本以上売り切り、一日で二十万円を手にしたその夕暮れ、家の空気にはまだ、バブル期特有の熱が薄く漂っていた。街では株価が上がり続け、土地の値段も異常なほど高騰し、人々は次々と金を使い、金が湧くように巡っていた時代である。屋台の菓子でさえ、主人公のあんず飴のように飛ぶように売れ、材料が底をつくほどだった。店の灯りも客の熱気も、その景気の勢いをそのまま映すように輝いていた。
しかし、家の内部では、その熱気とは別の静けさが流れていた。主人公は突然手にした大金に浮かれ、繁華街へ足繁く通うようになり、金を使うことが楽しくて仕方がないという、若さそのままの気分に浸りつつあった。そんな様子を横目に見ていた母は、ふと振り返り、鍋の湯気を揺らすように、一言だけ確かな声を落とした。「アンタ、最近、金銭感覚がおかしくなってるんじゃないかい。将来のために、ちゃんと貯金をしておきなよ。」その言葉は長く続く説教でもなく、声を荒げるでもない。ただ静かでありながら、胸の奥にずしりと響く重さを持っていた。
母は生粋の江戸っ子でありながら、商売人の家に生まれ育ち、金の怖さを日常で知ってきた世代である。戦後の混乱期から高度成長期、オイルショックを経て、好景気が突然崩れる瞬間を幾度も見てきた。だからこそ、好調な時期ほど慎重であれという感覚が体に染み付いていた。浮かれれば足元をすくわれる。景気は永遠には続かない。短い言葉の中に、その知恵と実感が静かに宿っていた。
昭和の親世代は、成功の影に潜む危うさを常に意識し、子どもが調子に乗っていると感じれば、その瞬間に迷わず釘を刺した。遊びに行きたくなる若者の気分も、時代の熱狂も理解しつつ、それでも現実に足をつけなければならない。母の言葉は、まさにその境界線で主人公を引き戻すための最も簡潔で、最も深い一撃だったのである。
外の世界は煌々と光り、店のネオンも雑踏の声も、バブル期特有の浮ついた輝きを放っていた。しかし家の中には、その光を吸い込むような静かな影があり、そこには慎ましく暮らしてきた人々の生活の知恵が残っていた。母の叱声は、時代の熱気に呑まれそうになる若い主人公の肩に、そっと現実の重みを置くものだった。景気の波に揺らぐことなく、地に足をつけて生きること──その大切さを伝える声が、あの夕暮れの家に確かに響いていたのである。
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