廃プラスチックの炎が照らした転換期の日本 2003年前後
2003年前後の日本では、廃棄物行政とエネルギー政策の両面で大きな変化が進んでいた。最終処分場は逼迫し、首都圏や関西圏では残余容量が十年前後とされ、これ以上埋立に依存することが制度的にも物理的にも難しくなっていた。また、容器包装リサイクル法の完全施行から数年が経ち、リサイクル制度は整い始めたものの、多層フィルムや汚れの付いた包装材など、マテリアルリサイクルが難しいプラスチックが大量に残り、国内では処理の行き詰まりが顕在化していた。かつては中国や東南アジアへの輸出がその受け皿となっていたが、2002年前後に輸入規制が強まり、国内で新たな出口を探さざるを得なくなったことも状況を厳しくした。
そこへ、日本が2002年に京都議定書を批准したことが重なり、CO2削減目標の達成が国家的な義務としてのしかかってきた。当時、風力や太陽光といった自然エネルギーへの期待は徐々に高まっていたが、発電規模は小さく、コストも高く、短期間で政策目標を支えるにはまだ非現実的だった。そこで既存の焼却施設を活用し、高発熱量の廃プラスチックを燃料にして発電を行う廃棄物発電が、即効性のある現実的な選択肢として脚光を浴びることになる。
環境省が廃プラスチック発電を新エネルギーの柱に据える方針へ転換したのは、こうした複合的な背景を受けての判断だった。従来は自然エネルギーとの競合や、ごみ発電は再生可能エネルギーに含まれないという批判から慎重姿勢を取っていたが、廃棄物発電がCO2削減に寄与し、化石燃料の代替として即効性があることが評価された。2003年には全国150か所の発電施設整備を視野に入れ、総発電能力を約400万キロワットへと引き上げる計画が示され、政策として大きく舵が切られたのである。
こうした廃プラスチック発電の拡大政策は、理想だけでは循環が回らない日本の都市構造や、迫る京都議定書の履行期限を背景にした苦心の折衷案でもあった。廃棄物とエネルギーが本格的に政策の中で結びつき始めたこのころは、資源循環への取り組みがインフラ整備として動き出した転換期であり、環境省の方針転換はその象徴的な出来事として現在まで語られる転機となっている。
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