中核派による国電同時多発ゲリラ事件(1985年)
1985年11月29日未明、首都圏の国電(現・JR在来線)を標的に、約20か所で同時多発的に発生した放火・破壊工作事件は、戦後日本の都市機能を麻痺させた異例の政治テロとして記録された。首謀したのは左翼過激派「中核派」の非公然軍事組織「人民革命軍」。その狙いは、国鉄分割・民営化政策への抗議と、労働運動の再激化を目的とする"実力闘争"だった。
当時の日本は、中曽根康弘内閣が進めた行政改革の象徴として、国鉄・電電公社・専売公社の民営化を推進していた。とりわけ赤字続きの国鉄改革は「労組切り崩し」とも受け止められ、労働運動の分断と過激派の過激化を招いた。中核派は学生運動の終焉後も「反帝国主義・反スタ」の立場を貫き、都市ゲリラ戦への転換を志向していた。幹部の証言は、まさにこの方針転換の只中にあり、のちに逮捕された委員長の思想と行動を直接的に結びつける貴重な証言となっている。
事件当日、首都圏では電線の切断や信号装置の焼損が相次ぎ、鉄道網は全面ストップ。約30万人の通勤客が影響を受けた。警察庁は全国規模の大規模捜査本部を設置し、のちに中核派の拠点アジトを摘発。犯行声明を出した「人民革命軍」は、戦後最大級の非国家的テロ組織として国際的にも注目された。
この事件は、戦後の左翼運動の末期を象徴している。かつての「革命の理想」は、民営化反対という社会運動的スローガンにすり替わり、破壊行為に転化した。冷戦終盤の日本で、経済自由化の波と社会主義の退潮が交錯する中、都市ゲリラ戦は最後の抵抗としての意味を持ったが、同時に運動そのものの終焉をも告げるものでもあった。
社会的には、事件後に「過激派=時代遅れ」という認識が広まり、以後の学生運動・労働運動は急速に衰退していく。1980年代半ばのこの事件は、戦後左翼思想の終焉と新自由主義の台頭を告げる分水嶺となった。
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