烈侠、そして裂傷――一和会と加茂田重政の昭和秘録(1930年~2020年)
昭和の闇を駆け抜けた男加茂田重政。その名は三代目山口組の重鎮として、そして一和会の副会長として、裏社会の抗争と抗議の狭間を生きた証となった。1930年神戸に生まれた加茂田は戦後の混沌を背景に「わさび会」で愚連隊としての第一歩を踏み出す。やがて1956年に独立、加茂田組を創設し、田岡一雄率いる山口組に吸収されながらも、神戸・大阪にその勢力を広げていく。武闘派として恐れられた加茂田組は塩見務や木村弘といった猛者たちを抱え、その名を刻んだ。
1984年、山口組の跡目争いが引き金となり、山本広らが離脱して「一和会」を設立。加茂田もこれに呼応し、副会長兼理事長として参加する。ここから日本の裏面史に残る「山一抗争」が始まる。死者数十名に及ぶ抗争を主導した加茂田は、武の論理を徹底しつつも、やがて1988年に加茂田組を解散し引退を表明した。晩年の彼は沈黙を守るも、2016年、自伝『烈侠』を世に出し、抗争と仁義、己の人生を静かに綴った。その姿は、もはや一人の侠客ではなく、時代という暴風の語り部であった。
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