年間4億トンにも上る産業廃棄物。
処理場不足や資源の有効活用の面からも、5R(Refine、Reduce、Recycle、Reuse、Reconvert to Energy)が求められています。
兵庫・姫路市に本社を置くスミエイト株式会社は、そのリサイクル分野で「産廃を資源に変える」独自のシステムをビジネスとして確立した先進企業であり、社員約50名で44億円を売り上げています。
熊野英介社長にお話を伺いました。
資源を技術で創る。
同社の創立は1977年。
鉱業会社が廃棄物から亜鉛などを回収する際の二次公害防止のための管理運用会社として設立されました。
熊野社長は創業2年後の1979年に入社しました。
「大学卒業後、おじが経営する会社に入社したわけですが、当時は若かったこともあり、正直言ってゴミを扱う仕事を恥ずかしく思う気持ちもありました」。
当時のリサイクルは、非鉄業界の廃棄物から回収された亜鉛は非鉄業界で資源化する、つまり同業種内でのリサイクルが常識でした。
同社においても創立当初はセオリーどおりのリサイクルを行なっていましたが、1979年の第2次オイルショックによる不況下に、より効率のよい事業方式を探る中から異業種間のリサイクルという発想が生まれたといいます。
常識を覆すきっかけになったのが不況だった。
「廃棄物ですから、処理費用がかかるところを逆に引き取らせてくれと申し出るわけで、出す企業にすれば処理コストがかえって安くすむわけです。
この事業で重要なのは再資源化された原料を受け入れる企業にとっても、それまでの原料より安くなること。
経済性には最初から徹底的にこだわりました」。
1980年に事業を始めて問題なく、セメント会社にプレゼンテーションに行ったところ、原料に廃棄物を使って製品に影響がでたら誰がどのように責任を取るのかと、生産サイドの人がなかなかオーケーしてくれませんでした。
やっとのことで、とりあえず500トンを3回試験納入する合意を得ました。
「ところが当時は廃棄物を出す企業にも認識がなく、工場から送られてくる廃棄物には色々難題があります。
徹夜で分別をして、なんとか納入しました」。
3回の試験納入が終わったとき、反対していた生産側の担当者は「熊野さん、これからは資源を技術で創りだす時代なんですね」と言い、受け入れを決めてくれたといいます。
「この言葉を聞いて、それまで持っていた自分の仕事への引け目がなくなり、我々は資源を創りだしているんだという意識に変わりました。
しかも廃棄物の排出企業、受け入れ企業双方から感謝してもらえる。
この仕事は一生を費やすに足りる仕事だと思った瞬間です」。
熊野社長が24歳のときだったといいます。
こうして立ち上げた事業は、少しずつ対象企業を広げ、ノウハウを蓄積し、システムを作りあげてきました。
20年かけて確立した同社のリサイクルシステムは、以下の図のようになっています。
例えば各社から出る廃棄物、含む汚泥、廃溶剤などを複合・均一化してスラリー状にして、セメント会社で燃料として使ったり、食品会社から大量に排出される卵の殻をセメント原料に使ったりします。
つまり、スミエイトのリサイクルシステムの中では、もはや廃棄物と呼ばれるものは存在しません。
「リサイクルの成立には、安価・安定・安全が条件になります。
度重なる円高など、我が社にとっては不利な状況を経験する過程で、条件を満たすには何が必要かを学んできました。
ネットワークを広げて情報収集し再生原料を効率的に供給することに加え、マーケットを熟知することが経済性につながります。
現状の原料より我が社の再生原料の方が経済的にも品質的にも良くなければ、事業の価値がないわけです。
リサイクルすべしという理想論だけでなく、常に競争力と業態変化が必要とされます」。
「なくてはならない会社を目指す。
現在までに同社がリサイクル・コーディネートをした企業は1000社を超え、国内3カ所に加え、 「リサイクルコーディネートネットワークは広範囲で構築したほうが合理的」との考えからソウルにも事業所を設けています。
1977年の創立以来順調に成長してきた同社ですが、ここ数年社会の流れが変わりつつあることを感じています。
最初のきっかけは1992年の地球サミットだった。
「それまでは、企業側も廃棄物をリサイクルして原料としていることは口外したがらない状況でした。
ところがサミット以来、むしろ企業のイメージアップにつながるということで、宣伝してくれても構わないという流れになってきました」。
さらに1990年代後半には国連大学によりゼロエミッション構想が提唱されるなど、同社の取り組みは時代の先取りといった感もあります。
「私たちが取り組んできたことが脚光を浴び、流れが加速してきたといったところでしょうか。
しかし、こうした取り組みはそれまでの常識の壁を打ち破る必要性もあり、1社でできることではありません。
各企業との共生が成り立ってこそ可能になることでしょう。
我社は大きい会社、強い会社ではなく、なくてはならない会社を目指しています。
従業員も50名で年商44億円を上げています。
ベンチャーとしてはこのくらいの人数が適正規模でしょう」。
こうした考えに基づき、会社組織にも拡大路線は取らず、現存のシステムを最大限活かす方向で進んできました。
自社でもリサイクル工場を持っていますが、現在も半分以上は提携先に加工を依頼しており、運搬・流通なども外注しています。
1995年に日立化成グループと合弁会社を設立したのも、こうした発想の一環といえるでしょう。
「我々はネットワークやノウハウなど、情報面には自信があります。
今後は技術力が課題。
技術を持つところと連携して新しい市場を作っていけたらと思っています」。
2001年の秋には株式上場(店頭公開)を予定しています。
廃棄物の再資源化を含むゴミゼロ循環社会への指向が世界的な潮流となる中で、21世紀には同社の役割はさらに大きなものになっているでしょう。
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