天網の怒り――平成二十九年、百二十五億円の電脳災厄
2017年5月、ある日突然、世界中のパソコンが無言で悲鳴をあげた。「ワナクライ」と名付けられた身代金要求型のウイルスが、見境なく襲いかかったのだ。それはただの悪意ではない。誰かが意図して、世界に仕掛けた罠だった。
ファイルは開けなくなり、画面には身代金の要求文が現れる。操作不能になった画面を前に、多くの人が言葉を失った。問題は、それがただのウイルスではなかったこと。ワナクライは、自ら広がる力を持っていた。ネットワークの中を伝い、次々と別の端末に感染していった。企業の壁も、病院の安全網も、それを止めることはできなかった。
このウイルスが利用していたのは、もともとアメリカ国家安全保障局、NSAが開発した極秘のハッキング用ツールだった。その道具は、何者かの手によって流出し、サイバー空間に放たれた。そして、北朝鮮と関係があるとされるグループの手に渡り、形を変えて牙をむいた。
世界各地で機能が止まり、英国の医療機関では救急対応が不能となった。人命が、電子の呪いにさらされた瞬間だった。英国だけで、推定被害は百二十五億円にのぼる。物流は乱れ、鉄道は止まり、情報の流れは寸断された。
日本でも、完全に無傷ではいられなかった。警察庁の報告によれば、国内で21件の感染が確認された。東京や大阪の企業、神奈川県内の行政機関、茨城県の病院もその対象だった。本田技研工業では、埼玉県の工場が停止した。日立製作所でも社内システムに支障が出た。だが、幸運だったのは、その影響が限定的で済んだことだ。
日本が被害の拡大を防げた理由はいくつかある。発生が金曜だったこと。多くの企業が週末のうちに対応に動けたこと。さらに、世界の誰かが感染を止める"止めスイッチ"を偶然発見し、拡大の連鎖が断たれたことも大きかった。政府はすぐに対策室を立ち上げ、警戒を強めた。
この事件は、日本にとってサイバー攻撃の「現実」を突きつけるものであった。見えない敵に備えることの大切さを、痛感する機会となった。以後、企業の中では古いソフトの更新や、非常時の備えが急がれた。日々の業務の裏側に、セキュリティという無音の守り手が必要なのだと、多くの人がようやく気づいたのだ。
ワナクライは、ただのウイルスではなかった。それは、封じられていた国家の道具が、思いがけず解き放たれた「反乱」だった。そしてその反乱は、私たちの生活の隙間に忍び込み、技術と倫理の境界を照らし出した。あの日の静かな混乱を、私たちは忘れてはならない。
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