闇に染まる海からの十人――ムンバイを止めた三日間の記録(2008年11月)
2008年11月26日から29日にかけて、インド最大の都市ムンバイ(人口約1200万人)で発生した同時多発テロ事件は、パキスタンに拠点を持つイスラム過激派組織ラシュカレ・トイバ(Lashkar-e-Taiba, LeT)によるものである。この攻撃で174人が死亡し、300人以上が負傷した。
ラシュカレ・トイバは1987年頃にパキスタンのパンジャーブ州で設立されたイスラム過激派組織であり、「聖戦(ジハード)」の名のもとにインドのカシミール地方での分離独立やイスラム支配を目指してきた。宗教組織マルカズ・アッ・ダワの支援のもと、軍事訓練キャンプを運営し、過激な思想と実践的なゲリラ戦術を教えてきた。創設以来、パキスタン軍の情報機関ISIとの関係がたびたび指摘され、インド国内で多数のテロ事件に関与しているとされる。
今回のテロでは、LeTの訓練を受けた10人のテロリストが、小型ボートでアラビア海を経由しムンバイに密かに上陸。事前に詳細な計画を練ったうえで市内の複数の標的を同時に襲撃した。
襲撃対象となったのは以下の主要施設である。
チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅
タージ・マハル・パレス・ホテル
オベロイ・トライデント・ホテル
レオポルド・カフェ
ナリマン・ハウス(ユダヤ人施設)
これらの攻撃は、単なる武装襲撃ではなく、高度に情報化された計画によるものであった。テロリストたちはGoogle Earthや観光ガイド、オンライン地図、報道資料といったオープンソース情報を徹底的に収集・活用し、標的の選定と動線の把握を行った。さらに、衛星電話やインターネット通信を駆使してパキスタン国内の指揮者とリアルタイムで連絡を取りながら行動していた。
その結果、わずか10人のテロリストによって、人口1200万人の巨大都市ムンバイの経済、交通、通信などの都市機能が三日間にわたり部分的に麻痺した。世界中のメディアが連日、燃え上がるホテルや人質の救出作戦を報じ、その凄惨な光景は全地球を震撼させた。
唯一の生存犯であるアジャマル・カサブは、現場で逮捕された後に自白し、自らがLeTの訓練キャンプ出身であり、パキスタンからムンバイに潜入したことを認めた。彼の証言は、LeTとパキスタン国家機関の関係に国際的な注目を集めるきっかけとなった。
事件から3年後の2011年11月、フィリピン警察はAT&Tのシステムをハッキングし、そこから得た不正収入をLeTに送金していた容疑で4人の男を逮捕した。この資金はサウジアラビアを経由してLeTに流れていたとされ、テロ資金の流れがネットワーク化されている実態も明るみに出た。
このムンバイの惨劇は、銃と爆弾による直接的な破壊だけでなく、オープンソース情報と暗号化通信を駆使して都市を麻痺させる、現代型のテロリズムの典型とされた。そして、わずか10人のテロリストによって大都市が揺らいだという事実は、現代社会の脆弱性を象徴する警告として、今もなお記憶されている。
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