風をまとう女たち――都市の肌理とモデルの革命(1970年前後)
1970年前後、日本の都市にはざわめきが生まれた。ミニスカートとロングブーツ、鋭いアイラインの若い女性たちが街路を滑るように歩き、ショーウィンドウや雑誌の紙面に、その姿はあふれていた。ファッションモデルたちは、服を着せられる存在から、時代の精神を纏う存在へと変貌を遂げつつあった。モデルという言葉に宿る意味は、その身振りと無言の表現によって、大きく更新されていた。
麻生れい子の言葉、「花森安治って、知らない」は、その新しさの宣言だった。『暮しの手帖』編集長として、戦後の良識と簡素な暮らしを美徳とした花森の思想は、かつての日本にとって「正しさ」の代名詞だった。だが、れい子のさりげない一言は、それを過去の価値として葬る意思表示だった。もはや、正しさではなく、美しさと自由こそが語るべき時代となっていたのだ。
山口小夜子が無表情の仮面をつけて世界の舞台に立つ直前、都市の雑誌文化を背景に登場したのがツナキミキや麻生れい子たちだった。彼女たちの身体は単なる布地の上ではなく、都市の記憶や夢を映すキャンバスとなっていた。雑誌『anan』が創刊され、読者が"主婦"ではなく"個人としての女性"に目覚めていく過程で、モデルの視線と姿勢はその灯火となった。
さらに桐島洋子のように、自らの生き方を〈モデル〉として世に示す女性も現れる。消費社会に身を投じ、自立を語り、母であり旅人であるという新たな女性像を確立した彼女の存在は、ファッションモデルたちの沈黙と共振しながら、言葉による革命の道を拓いていた。
こうしたうねりのなか、花森安治の「広告なき美学」は、どこか遠くに押しやられていく。生活を見つめる眼差しは、やがてショーウィンドウとレンズの奥に重ねられ、新しい倫理と美が、姿勢とスタイルの中に結晶していった。ファッションモデルたちは、声を上げることなく、しかし確かに、世界の見え方を変えていったのである。
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