最低基準が溶けていくところで 労働法をめぐる静かな解体論争 2020年代
労働基準法をめぐる現在の議論は、制度の細かな改正というより、最低基準という考え方そのものが後退しかねない局面に差しかかっている。労働基準法は、労使の合意があっても下回ってはならない条件を国家が定めることで、立場の弱い働き手を守ってきた。その前提が、規制緩和や柔軟化という言葉のもとで揺さぶられている。
働き方の多様化を背景に、テレワークや副業、裁量的な労働を理由として、法律の一律規制を弱め、労使協定に委ねる方向が示されている。制度を現実に合わせる必要性は確かに存在するが、合意に依存する設計が広がれば、力関係の不均衡がそのまま労働条件に反映されやすくなる。最低基準が共通の土台として機能しなくなれば、条件の切り下げは静かに進行する。
問題の核心は、労使コミュニケーションや自主的合意を重視する名目で、法律の例外や調整を拡大しようとする発想にある。協定の単位が現場から離れれば実態は見えにくくなり、労働者代表が形式的な存在であれば、合意は歯止めにならない。こうした小さな変更が積み重なることで、労働基準法は骨格を保ったまま中身を失う危険がある。
労働時間規制も重要な論点である。例外を増やして長時間労働を容認するのではなく、法定労働時間を短縮し、残業の上限を厳格に維持する方向こそが本来の改善策とされる。テレワークにおいても実労働時間の把握は不可欠であり、副業や兼業についても、健康確保の明確なルールがなければ過重労働を助長しかねない。
制度改正の過程そのものも問われている。専門家や一部の利害関係者だけで議論が進められれば、現場で生じる影響は見落とされやすい。働く人々の経験や不安を可視化し、説明責任を伴った透明な立法過程を確保しなければ、柔軟化の名の下で最低基準が失われた後に修復することは困難になる。労働法の根幹をどこに置くのかが、いま現実的な課題として突き付けられている。
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