吉浦拘置所は、戦後広島のヤクザ史をたどるうえで重要な舞台である。現在の広島刑務所呉拘置支所にあたり、呉市吉浦にあったことから吉浦拘置所と呼ばれていたとされる。1947年、美能幸三は呉駅前での射殺事件で逮捕され、吉浦拘置所に収容された。そこで、美能はすでに拘置されていた大西政寛と再会する。ウェブ上の関連資料では、2人は同年7月、通常の盃を用意できない拘置所内で兄弟分の関係を結んだとされる。 大西政寛は、呉市会議員をめぐる傷害致死事件に関連して拘置されていた人物で、のちに悪魔のキューピーの異名で知られるようになる。一方の美能幸三も、戦後の呉や広島の抗争史に深く関わっていく。美能は拘置中、大西から山村組に入ることを勧められ、同年9月に懲役12年の判決を受けた後、12月に保釈され、その後山村組の若衆になったとされる。 このため吉浦拘置所は、単なる収容施設ではなく、戦後の混乱期に人間関係や組織関係が再編成される場所として見ることができる。街頭での抗争だけを追うのではなく、逮捕、拘置、裁判、服役といった司法制度の内側でも、後の勢力関係につながる人的結合が形成されていた点が重要である。吉浦拘置所は、戦後広島の裏社会と司法制度が接触する場所として、広島抗争史を別の角度から理解する手掛かりとなる。
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