Sunday, October 11, 2026

白無垢に名を継ぐ女 松葉屋瀬川と吉原の名跡 1716年から1780年代

瀬川は、江戸吉原の大見世、松葉屋を代表する遊女の名跡として知られる。元禄期から続く松葉屋では、看板遊女が瀬川の名を継ぎ、初代から6代ほどが特に著名だったとされる。中でも安永4年、1775年の瀬川は、盲人の高利貸しとして知られた鳥山検校に身請けされたことで江戸中の話題となった。大田南畝も、その年の出来事として松葉屋瀬川が鳥山検校に請け出されたと記している。 瀬川は美貌だけでなく、松葉屋の格式を象徴する存在でもあった。八朔の日には松葉屋の上位遊女が白無垢を重ねて着る習慣があり、瀬川の装いは吉原の流行を示すものとして注目された。また、安永年間の吉原細見には瀬川の名が確認され、当時の上位遊女として位置付けられている。浮世絵にも松葉屋瀬川の姿が描かれ、吉原の名妓が実在の女性であると同時に、江戸の人々が憧れる文化的な象徴へ変わっていったことがわかる。

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