Friday, October 16, 2026

銀幕の都で花ひらく 1925-1936

松竹蒲田撮影所は、1920年に東京の蒲田に開設され、松竹映画の現代劇を生み出す中心拠点となった。田中絹代は1924年に京都の松竹下加茂撮影所へ入り、「元禄女」で映画デビューした後、「村の牧場」で早くも主演を務める。翌1925年、下加茂撮影所の閉鎖にともない蒲田へ移籍し、ここから本格的なスターへの道を歩み始めた。松竹の公式資料によれば、田中は小津安二郎、五所平之助、島津保次郎らの作品に出演し、やがて松竹蒲田を代表する看板女優となった。 蒲田撮影所では、城戸四郎を中心に、庶民の日常や家族、恋愛を温かく描く「蒲田調」と呼ばれる作風が育った。1929年には「蒲田行進曲」が生まれ、蒲田は「キネマの都」として知られるようになる。田中絹代は、その華やかな時代を象徴する存在でもあった。1931年には五所平之助監督の「マダムと女房」が日本初の本格的トーキー成功作となり、映画は無声映画から音の時代へ移っていく。1936年、松竹は製作拠点を蒲田から大船へ移転し、蒲田撮影所はその歴史を閉じた。しかし、この約16年間に築かれた映画文化と、田中絹代をはじめとする俳優たちの軌跡は、日本映画史に長く残るものとなった。

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