東京都荒川区南千住にある浄閑寺は、吉原遊郭で亡くなった遊女たちの墓所として知られ、「投込寺」と呼ばれてきた。とりわけ安政2年、1855年の安政江戸地震では、吉原でも多数の死者が出て、亡くなった遊女たちが浄閑寺に葬られた。荒川区の資料でも、安政の大地震で犠牲となった新吉原の遊女が葬られた寺として紹介されている。 当時の被害を記録した「吉原たいへん」には、各妓楼ごとの死亡した遊女名が記され、さらに浄閑寺や無縁塔についての記録も残されている。華やかな衣装や遊興で語られる吉原の背後には、病気や災害、貧困、身寄りのなさの中で亡くなった女性たちがいた。 境内には、そうした人々を供養する新吉原総霊塔があり、現在は荒川区の有形文化財に指定されている。また、浄閑寺は文学者の永井荷風とも深い関係を持ち、後世には吉原と無縁の死を考える文学的、歴史的な場所ともなった。 浄閑寺は、吉原の華やかな表舞台では見えにくかった女性たちの生と死を今に伝える場所である。遊郭文化を美しく語るだけではなく、その陰で生き、亡くなった人々を記憶し供養するという意味で、吉原の歴史を考える上で欠かせない寺院といえる。
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