Monday, October 12, 2026

狂歌師が吉原で出会った女 三保崎と大田南畝 1785年から1786年

江戸後期を代表する狂歌師で、四方赤良、蜀山人とも名乗った大田南畝は、天明5年、1785年11月に吉原の松葉屋を訪れ、翌天明6年、1786年7月15日、同店の遊女三保崎を身請けしたとされる。資料には、三保崎が身請け後にお賤と名を改めたことも記されている。南畝は三保崎のもとへ通い、その体験を狂歌や文章に残した。 ウェブ上の大田南畝関係資料でも、三保崎は松葉屋の新造で、当時22歳ほどだったとされ、南畝が松葉屋を初めて訪れた時の狂歌や、身請けを示す漢詩が伝えられている。また、南畝が三保崎から聞き取った内容をもとにした「松楼私語」は、遊女の突出しや水揚げなど、当時の吉原内部の慣習を知る資料としても利用されている。 南畝にとって吉原は単なる遊興の場ではなかった。狂歌師、出版人、遊女らが交わる文化空間であり、三保崎との関係も作品や記録の中へ入り込んだ。三保崎という1人の女性を通して見ると、華やかな吉原文化の背後に、実際にそこで暮らした女性の生活と、それを観察し記録した江戸文化人の姿が浮かび上がってくる。

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