Sunday, August 24, 2025

### 環境 再生の港湾都市―川崎エコタウンの挑戦 2002年

### 環境 再生の港湾都市―川崎エコタウンの挑戦 2002年

2002年、日本は循環型社会の構築を急ぐなかで、環境政策を具体化する舞台として「エコタウン事業」を全国に展開しました。とりわけ川崎市は、かつて重化学工業の集積で公害の代名詞ともされた街でしたが、その歴史を踏まえて、環境再生と産業振興を両立させる挑戦を始めました。京浜臨海部に広がる工場群から排出される鉄鋼スラグ、石炭灰、廃プラスチック、廃油などを資源と見なし、リサイクルによる新しい産業の拠点へと再編しようとしたのです。

この事業を支えたのは、当時強化された国のダイオキシン規制や廃棄物処理法改正でした。従来の焼却や埋立に依存する処理方式では限界が明らかとなり、高温溶融炉による無害化処理や、ガス化溶融炉によるエネルギー回収技術が導入されました。これにより発生した溶融スラグは路盤材や建設資材に再利用され、廃棄物は「環境負荷」から「循環資源」へと姿を変えました。

さらに川崎エコタウンでは、セメント工場でのスラグや石炭灰の再利用が進められ、非鉄金属リサイクルのための湿式処理技術や、プラスチックを油化する熱分解プラントも稼働しました。こうした多様な技術群は「ゼロエミッション」を掲げた象徴的なモデルであり、産業副産物を可能な限り再利用する産業生態系の実験場でした。

加えて研究開発の場としても位置付けられ、大学や企業研究所が集まり、廃棄物処理の高度化や新素材開発の実証が行われました。これにより川崎は単なる処理都市を超え、環境技術の輸出拠点としても注目されました。国際的にも視察団が訪れ、ドイツや北欧で進むリサイクル都市計画と並び評価されました。

こうした川崎エコタウンの歩みは、かつての公害の記憶を背負いながらも、環境と産業の調和を模索する「再生の物語」でした。2002年の本格稼働は、循環型社会の実現に向けた日本の挑戦を象徴し、工業都市がいかにして環境都市へと変貌し得るかを示した一里塚といえます。

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