街頭に立て 大衆文学の旗手たち 1925年から1927年
大正末から昭和初期、日本は大戦後の不況と関東大震災に揺れ、都市庶民は現実に根差した娯楽を求めました。白井喬二はそうした読者に応えるべく1925年秋、正木不如丘、平山蘆江、直木三十五、江戸川乱歩らと「二十一日会」を結成します。彼は「大衆作家よ、街頭に立て」と呼びかけ、机上の文学から一歩踏み出し、庶民の喜怒哀楽を描くべきだと訴えました。この理念は翌年の同人誌『大衆文芸』創刊で具体化し、会合では純文学との対立を前に熱い議論が交わされました。嘲笑や批判も多かったものの、探偵小説や時代小説など各作家の異なる方向性が融合し、大衆文学は厚みを増していきます。やがてこの流れは1927年、平凡社の『現代大衆文学全集』として結実しました。全60巻、千頁一円という価格破壊で25万人の購読者
を集め、庶民を「大衆読者」へ引き上げたのです。白井は商業的成功を認めつつ文学運動としては後退と自己批判しましたが、文学をサロンの装飾から街頭の必需品へと変えた意義は大きく、読者をどう作るかという問いに挑んだ出版文化史上の実験でした。
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