Saturday, October 4, 2025

五街道雲助の奮闘 ― 1970年代の落語修業と芸の根を育てる試み

五街道雲助の奮闘 ― 1970年代の落語修業と芸の根を育てる試み

五街道雲助(一九四八年生まれ)は、現在では人間国宝にも列せられる名人だが、若手時代は苦労の連続であった。特に二ツ目時代の体験は、彼の芸の方向性を決定づけた。師系として志ん生や馬生の薫陶を受け、「腹芸」と呼ばれる、言葉に頼らず体内から滲み出る力が必要だと痛感した。これは単なる技巧の上達ではなく、舞台上の存在感そのものを作り出すものであり、芸の根を育てる修業そのものであった。

時代背景として、1970年代は高度経済成長が一段落し、娯楽の主役がテレビへと移りつつあった。寄席は観客動員に苦しみ、若手にとって修業の場が細りつつあったが、その中でも雲助は地道に高座を重ね、円朝以来の語りの感触を守ろうと奮闘した。古典落語の重厚な世界を支えるためには、観客に"型"ではなく"実感"を伝える必要があると考え、芸を体得することに心血を注いだのである。

当時の落語界では、談志のように新しい流れを模索する動きも活発であったが、雲助はむしろ古典に寄り添いながら、その奥行きを自分の体に根付かせる姿勢を貫いた。その努力は、芸を枝葉ではなく根から支えるという意識のもとに行われ、後年の円朝作品の復活公演や古典落語の緻密な再現へとつながっていく。

雲助の二ツ目時代の苦心は、時代の荒波に抗いながらも、伝統の真髄を守ろうとした世代の奮闘の象徴であった。芸を根から育てるという言葉は、当時の落語界が直面していた危機感と、それを支える強い矜持を同時に物語っている。

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