神農道と信仰の結びつき―戦後社会と高度成長期の縁日の光景
テキヤ社会における「神農道」は、稼業に専念し掟と信義を守り抜くことを意味し、その体現者を「神農」と称した。古代中国の神農氏の伝承を起点に、薬業や行商を経て日本に伝わり、露天商の精神的支柱となった。戦後の混乱期、闇市に露店を構える人々にとって神農道は単なる商売を超えた共同体の規範であり、不安定な社会のなかで秩序を保つ力を持っていた。親分子分の関係は血縁を越えて家族として結ばれ、大同団結や共存共栄の理念が掲げられた。高度成長期に入ると、都市化と消費拡大によって祭礼や縁日が盛んになり、神農を祀る儀礼はテキヤ社会を文化的・宗教的に正当化する重要な役割を果たした。大阪の少彦名神社などでは薬業と結びついた信仰が根強く、商売繁盛を祈る場として露天商も参集した。企業社
会が社訓や規則で人を縛ったのに対し、テキヤは信仰と義理を基盤に共同体を維持した。暴力団排除条例によって活動は縮小したが、地域の祭礼には神農信仰の名残が息づき、神農道は「共に生きる理念」として戦後から高度成長期にかけての日本社会のもう一つの姿を映し出した。
No comments:
Post a Comment