映画館と活動弁士 ― 大正期から震災後の新宿
大正期の新宿に誕生した映画館「武蔵野館」は、まだ東京の周縁と見られていた地域に文化的な拠点を築いた。上映の際には活動弁士が登場し、スクリーンに映し出されるサイレント映画に声と物語を与えた。弁士は登場人物を演じ分け、観客を物語世界へと誘い込む存在であった。水野松翠が活躍し、五味国太郎主演、花房英百合子出演の作品は彼の語りによって迫力を増し、観客は舞台さながらの熱気を体感したという。当時の日本映画界は日活や松竹などの会社が台頭し、映画は庶民の娯楽として定着し始めていた。
しかし1923年(大正12年)の関東大震災は都市の重心を揺るがし、浅草など下町の娯楽街は壊滅した。被害の少なかった新宿は避難者や商人が流入し、映画館も新たな文化の中心として機能を拡大する。武蔵野館は震災後に洋画専門館へと転じ、活動弁士は徐々に説明者へと役割を変え、字幕やトーキー映画への移行が進んでいった。この変化はサイレントから音声映画への過渡期を象徴している。
武蔵野館は新宿の映画文化を牽引する存在となり、活動弁士の時代はやがて終わりを迎えるが、その熱気は人々の記憶に強く刻まれた。大正から昭和初期にかけて、新宿はこうして映画文化の新しい拠点へと飛躍していったのである。
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