Friday, October 3, 2025

平康里の記憶―戦中中国の街娼街をめぐって

平康里の記憶―戦中中国の街娼街をめぐって

戦中に中国へ赴いた日本人の記憶には「平康里」という名が深く刻まれている。本来この名は、唐代の長安に存在した高級遊郭に由来し、詩や文献にもしばしば登場する雅な響きを持っていた。しかし20世紀、戦争の只中で同じ名を冠する場所は全く異なる姿を見せていた。そこは貧しい女性たちが集められた下級売笑街で、衛生状態は劣悪、性病が蔓延する危険な一角であった。日本軍は兵士の感染拡大を恐れ、この地域への立ち入りを固く禁じていたという。

当時を知る証言によれば、街並みは荒れ果て、古代の栄華を思わせる面影はなく、掘立小屋の連なる光景は悲惨そのものであった。美名と現実の落差はあまりに大きく、兵士や従軍者たちには強烈な印象を残した。そこに漂うのは衰退と困窮の象徴であり、戦争がもたらす人間の尊厳の喪失を映し出す場所でもあった。

「平康里の記憶」は単なる歓楽街の逸話にとどまらず、歴史の皮肉を体現する象徴的な存在である。かつて文化の爛熟を伝えた名が、近代戦争の下で荒廃の象徴に転じたことは、人々の心に複雑な痛みを残した。記録や証言に刻まれたその場の姿は、戦争が社会や都市のあり方に刻んだ深い爪痕を今に伝えている。

No comments:

Post a Comment