Wednesday, June 4, 2025

『戦後の闇に咲いた火花――浜松抗争事件とその深層』―1948年・静岡県浜松市

『戦後の闇に咲いた火花――浜松抗争事件とその深層』―1948年・静岡県浜松市

昭和23年(1948年)、戦後の混乱が色濃く残る静岡県浜松市で、地元暴力団「服部組」と在日朝鮮人グループとの間で激しい抗争が発生した。この事件は「浜松事件」とも呼ばれ、当時の新聞にも「市内銃声飛び交う」「浜松騒乱、警察とMP出動」などの見出しで報じられ、戦後社会の緊張と民族間の摩擦を象徴する出来事となった。

浜松市は、戦災で焦土と化したのち、進駐軍の駐留と物資不足の中で急速に闇市経済が拡大していた。そこに目をつけたのが服部組である。地元の勢力として露店、風俗、労務斡旋に介入し始めると、同じく生活の糧を求めていた在日朝鮮人グループと利権をめぐり衝突することになる。

抗争の火種は、闇市の出店者の排除と、それに対する報復行動であったとされる。浜松市中区を中心に両者の衝突は数日間続き、拳銃や火炎瓶が用いられたとの報告もある。市民の不安は頂点に達し、ついには浜松警察と進駐軍(MP)が治安出動し、武装解除と逮捕に踏み切った。警察はこの事件を「暴力と治安の境界線を揺るがす重大事案」として処理した。

この事件の報道は、当時の全国紙(読売新聞、朝日新聞、毎日新聞)でも断片的に確認されるが、現在オンラインで当時の紙面を閲覧することは難しい。新聞の縮刷版やマイクロフィルムは、静岡県立中央図書館や浜松市立中央図書館、また国立国会図書館などで所蔵されている可能性が高い。

また、浜松市の歴史資料アーカイブ「ADEAC」や「概説 静岡県史」の中には、浜松事件を扱った解説も存在する。これらは新聞記事そのものではないが、当時の行政の対応や社会の空気を伝えており、事件の実態把握に貴重な手がかりとなる。

この抗争は、単なる暴力団同士の争いにとどまらず、戦後の民族対立、生活防衛、無秩序な権力闘争が複雑に絡み合った社会現象であった。特に、在日朝鮮人が生活を守るために組織化されていたこと、日本の旧来の暴力団がそれに対抗しようとしたこと、警察やGHQがいかにそれを鎮圧したかという点で、後の暴力団対策や外国人差別の原型を浮かび上がらせている。

今日、浜松の街を歩いてもこの事件の痕跡を見つけることは難しいが、戦後の「生き延びるための暴力」がいかにして発生し、社会に爪痕を残したのかを知る手がかりとして、記憶されるべき事件である。

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