Monday, June 30, 2025

「われら反体制音楽家三人衆」―1971年・歌と酔いと風刺の時代

「われら反体制音楽家三人衆」―1971年・歌と酔いと風刺の時代

1970年代初頭、日本は高度経済成長のただ中にありながらも、政治の季節を終えた若者たちの間には空虚と焦燥が満ちていた。1960年代後半の安保闘争、学生運動の嵐は去り、街からバリケードが撤去された後に残されたのは、反体制の熱を冷ましきれずに持ち余した人びとだった。そんな時代に、歌は再び力を持った。だがそれは、かつてのプロテストソングのように拳を振り上げるものではなく、もっと酔いどれで、もっと生活にまみれたかたちで――。

登場するのは、高田渡、なぎら健壱、長谷川きよし。いずれもフォークシーンを担う異端の歌い手である。高田渡は「歌詞とは呪文だよ」と語る。意味を語るのではなく、繰り返すことで生きる。彼の歌には政治も社会も登場するが、それは告発の言葉ではなく、ぼそっとつぶやくような抵抗だ。木造アパート、酒場、ちょっとした絶望と諦念が、彼の歌の風景だった。

長谷川きよしは、視覚を持たないがゆえの研ぎ澄まされた聴覚と感性で、即興性と空間の共鳴を語る。ステージの上で生まれる一瞬一瞬が命だ、と。彼の語りからは、「見えないことが可能にする自由」の気配が感じられる。盲目のシンガーとして、都市の雑音を音楽へと変換するその感性は、当時のフォークソングの中でも異彩を放っていた。

一方のなぎら健壱は、芸術と下町的ユーモアを結びつける才人だ。地方営業でのトラブル、酔客との喧嘩、酔っ払いに絡まれながらも歌い続ける夜の記憶を笑いながら語る。「これも文化だよ」と言い放つ彼の口調には、下世話と芸術の境界を意図的に曖昧にしながら、フォークの本質を炙り出そうとするしたたかさがある。

彼らに共通するのは、「立場を持たない」という美学だった。反体制であっても、組織や思想に加担することはない。歌うことでしか社会と関わらず、語ることでしか自分を語らない。だからこそ、彼らの歌と語りは時代の深層を反射する鏡となった。怒りを抑え、哀しみを飲み込み、笑いを装いながら、彼らは常に"それでも歌わなければならなかった"のだ。

この語りは、70年代という過渡期にあった「文化の庶民化」「政治からの後退」「都市生活者の孤独」といった感情の堆積を、じわりと可視化してくれる。そして、歌と酒と街路を漂流することが、ひとつの「生き延び方」だったことを、三人の言葉は静かに、しかし確かな温度で伝えてくれる。反体制とは、怒りではなく、やさしい諦めのなかでこそ、本当の輪郭をもつ。彼らの言葉は今なお、混沌のなかを生きる私たちの心に寄り添ってくれるのである。

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