言葉と死のはざまで ――大江健三郎と三島由紀夫、1960年代の記憶
この会話は、一九六〇年代後半から一九七〇年初頭の思想的分裂を象徴する、非常に印象深い場面である。舞台は大学の講演会後。大江健三郎の講演が終わったその直後、語り手は数人の学生たちに囲まれ、「あなた、大江なんかを聞いて楽しいの?」と詰問される。学生たちは明らかに三島由紀夫を支持する側であり、大江のリベラルな立場に対して敵意と冷笑をあらわにしていた。この場面は、当時の知識人世界に横たわっていたイデオロギー的な対立の空気を如実に示している。
当時の日本では、冷戦構造と高度経済成長を背景に、左派と右派、進歩と保守、民主主義と国家主義の激しい対立が社会のあらゆる場面で噴出していた。大江健三郎は、戦後民主主義の体現者として、戦争責任や原爆、天皇制、社会的差別といった問題に向き合い、言論と倫理を重視する姿勢を貫いていた。一方、三島由紀夫は、文化的エリートでありながら保守的な精神世界に身を投じ、天皇制や武士道に根ざした「行動による美学」を追求していた。彼は一九七〇年に、自衛隊駐屯地で割腹自殺を遂げ、その死は一つの象徴的な政治劇であり、文化と国家の関係に対する最後の問いかけでもあった。
学生たちが語り手に投げかけた言葉、「あなた、大江なんかを聞いて楽しいの?」というひと言には、単なる作家の好みの違いを超えた深い意味がある。それは、大江を「言葉だけの知識人」として見下す視線であり、行動を起こさないリベラルに対する不信と挑発が込められている。彼らにとって三島は、国家に真正面からぶつかり、命をかけて自己の思想を貫いた存在だった。知識人としての「本気度」が問われていたのである。
この一場面は、日本における戦後知識人の精神的風景を凝縮したようなものである。言葉で世界を変えようとする者と、死をもって思想を証明しようとする者。その間に生まれた断絶は、単に文学の枠を超えて、戦後日本社会の価値観全体を揺るがすものだった。会話自体は静かだが、その背後には、社会的断層が大きく口を開けていたのである。
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