逆破門の夜明け――長岡宗一と柳川組の北海道進出史(1960年代前半)
三代目山口組の拡張期に、異色の組長として登場した柳川次郎は、在日朝鮮人として初めて山口組の中枢に食い込んだ人物である。その柳川の勢力圏拡大に呼応する形で、北海道に登場したのが長岡宗一だった。長岡は岩見沢町出身の元ボクサーで、柔道にも通じた体力派であった。1961年、札幌のプロレス興行で柳川組の幹部と出会い、北海道での組織化を進めていく。北海道興行界の有力者であった小高龍湖に対抗すべく、1962年には逆破門という前代未聞の行動に出て注目を集めた。長岡はその後、同志会を結成し、柳川組北海道支部の支部長として札幌を拠点に勢力を伸ばした。だが、1965年に突如として引退。その後の北海道同志会は誠友会と名を変え、最大組織へと成長する。柳川組は1969年に解散したが、長岡と柳川が築い�
�ネットワークは、北海道の裏社会に確かな痕跡を残した。伝説の逆破門は、いまも語り草となっている。
No comments:
Post a Comment