Wednesday, June 4, 2025

桂文楽と芸能観――1960〜70年代、芸とエロスの境界に生きる感受性

桂文楽と芸能観――1960〜70年代、芸とエロスの境界に生きる感受性

1960年代から70年代初頭にかけての日本は、戦後の混乱から脱し、テレビの普及や都市化とともに大衆文化の爆発的拡大が進んだ時代だった。ストリップ劇場やピンク映画が興隆する一方で、テレビには落語や漫才、歌謡番組などが溢れ、家庭の中で"芸能"が消費されるようになった。

このような時代のなか、野坂昭如は春本(ポルノ文学)にあまり興味を持てなかった理由として、「そこに桂文楽がいたからだ」と語る。つまり、彼の感性は性表現よりも、語り芸の妙、芸能としての話芸に強く惹かれていたのである。

桂文楽は五代目(1892〜1971)、江戸落語の粋と品格を体現した名人であり、テレビにも出演し、「芸能の古典」として広く認知されていた。文楽の語りには艶笑噺もあるが、それは決して下品ではなく、微細な言葉の間と含みの中に笑いと色気が宿るものであった。野坂にとっては、春本に描かれる露骨な描写よりも、文楽が落語で見せる含蓄のある色気や人間理解のほうが、遥かに奥深く感じられたのだろう。

この野坂の芸能観は、単なる好みの問題ではない。当時の性表現をめぐる社会の緊張関係――検閲、猥褻裁判、市民の抗議――が背景にある。露出と規制のはざまで"春本"が倫理の争点となる一方で、桂文楽の落語は「高尚な娯楽」として公的にも許容されていた。つまり、同じ「性」を扱っていても、それが「芸」として洗練されていれば社会的に容認されたのである。

そうした中で野坂は、文楽という「語りの芸」に真の色気と風刺の力を見ていた。それは彼自身が作家・語り手として、どのような形で社会と向き合うべきかを模索していた時代の反映でもある。

桂文楽への傾倒は、性を単なる刺激としてではなく、人間の滑稽と哀しみをも孕む普遍的な題材として捉える芸能的視線の表れだった。エロスよりも「言葉の間合い」、裸よりも「語りの余白」に本物の艶を見出した野坂の視線は、70年代初頭の日本において、芸能とエロス、自由と品格の絶妙なバランスを探る知的な感性の記録であった。

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