桂文楽と芸能観――1960〜70年代 芸とエロスの境界に生きる感受性
1960〜70年代の日本は、戦後の復興と高度経済成長の波のなかで、性表現と芸能がせめぎ合う時代だった。テレビや雑誌の普及により、性や笑いが大衆の目の前に並び始めたが、それをどう受け止めるかは世代や個人によって大きく異なっていた。野坂昭如は、ポルノ文学に心を惹かれなかった理由として、「そこに桂文楽がいたからだ」と語っている。江戸落語の名人・桂文楽の語りには、露骨な描写はないが、言葉の間と含みのなかに色気と人間の可笑しみが宿っていた。野坂にとって、その洗練された語りこそが真のエロスであり、言葉の品格であった。ストリップや春本が目立つ時代にあっても、彼の感受性はむしろ、芸能の奥行きへと向かっていた。文楽の語りが許され、春本が摘発されるという現実は、性表現が「芸」とし
て認められるか否かによって、社会的な価値が大きく変わることを意味する。野坂の芸能観は、エロスを人間理解の一部として捉える視線であり、当時のメディア環境と表現規制のはざまで、自らの位置を見出そうとする文化的立場の表明だった。
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