一条さゆりの逮捕事件――1970年代前半 性と自由の交差点に立つ女
1970年代前半、日本は高度経済成長の中で都市化が進み、性表現をめぐる社会の価値観も揺れ動いていた。かつては秘匿されていた性の話題が、雑誌やテレビを通じて表に出てくるようになりつつあった。しかしその一方で、性の解放は常に道徳的・法的な規制と隣り合わせにあった。
その最前線にいたのが、ストリッパーの一条さゆりである。彼女は単なる裸の女ではなく、舞台上で観客と張り詰めた緊張感を共有し、美と倒錯の境界を行き来する存在だった。ある晩、彼女のステージが深夜テレビ番組『11PM』で放映されると、翌日大阪府警に「ひどすぎる」「取締まれ」といった電話が殺到した。そして彼女は逮捕される。
この騒動に対し、作家の野坂昭如は、性表現に対する抑圧的な社会の反応に疑問を投げかける。「性の表現は公開されればされるほど、異常な好奇心は失われる」と彼は述べ、抑圧することによってかえって人々の関心が過熱するという逆説を提示した。表現を取り締まる側にこそ異常さが潜んでおり、それは社会の不安定さや不寛容の表れでもあった。
また、深夜番組を視聴したうえで通報する者たちの行動に、野坂は強い違和感を表明している。見たくなければ見なければいい、にもかかわらずわざわざ見る者たちの怒りとは何か。そこには、性を巡る欲望と恐怖が絡み合い、抑圧された社会心理の暗部が露呈している。
この事件は、性表現の自由、そしてそれを巡る社会の受容度が試された瞬間であった。それは同時に、野坂自身が「猥褻文書販売の被告」として裁かれていた当時の現実とも重なる。国家が価値観を一律に統制しようとするとき、人びとの内面に潜む不安と怒りが、まるで鏡のように跳ね返る。性と表現の自由をめぐるこの出来事は、戦後日本の民主主義と検閲の境界線を問い直す象徴的なエピソードだった。
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