地下からの叫び――1980年代初頭、反骨のステージに立つ遠藤ミチロウと「ザ・スターリン」
1980年代前半、日本は高度経済成長の余熱を引きずりつつバブル経済の兆しを見せ始めていた。テレビは"お茶の間の中心"となり、明るく華やかなポップスやアイドル文化が席巻するなかで、都市の片隅――新宿ロフトや下北沢、渋谷屋根裏といった小さなライブハウスでは、明らかに異なる空気が蠢いていた。
遠藤ミチロウ率いる「ザ・スターリン」は、その異端の渦の中心にいた。血や唾液、内臓に似た赤ペンキが飛び散るステージ。鶏肉の投げつけ、脱糞や嘔吐さえも辞さないパフォーマンス――それらは当時のテレビ時代や商業主義とは正反対の、身体そのもので表現するアートだった。
「吐くのも投げるのも痛いよ」という彼の言葉には、その背後にある切実な"実感"がある。それは観客を驚かせるためではなく、自分が「生きていることを感じる」ための行為だった。この発言が象徴するのは、自己破壊と創造の境界線をギリギリで踏み越える"アングラ精神"である。
ミチロウは、もともと東北地方の福島県須賀川市出身。地方出身者として、東京という巨大な消費都市に対する異物感や違和感を常に持っていた。それは、彼の歌詞や発言に繰り返し現れる「汚れた街」や「腐った制度」といったイメージに集約されている。時に過剰とも思えるパフォーマンスは、「綺麗ごとでは済まされない現実」を、肉体と血の言葉で突きつけるものであった。
政治的にも、学生運動の敗北を経た後の"無気力の70年代"を抜け、ようやく自分たちの表現手段を見つけ出そうとしていた若者たちにとって、スターリンは「大声で怒鳴ることの価値」を再び提示した存在だった。
この時代、日本のパンクはまだメジャーとは言えずメディア露出も限られていたが、彼らのようなバンドが、都市の地下で蠢く情動や怒り、疎外感を代弁していたのである。だからこそ、「やるのが俺の表現だ」という一言には、自己の芸術性や市場への挑戦を超え、時代そのものへの反抗が込められている。
後年、遠藤は「過激なことをやっているというより、僕にとってはむしろ自然な感情表現だった」とも述べている。つまり、"アングラ"とは、世間とズレた感性ではなく、むしろ鈍感になった世間に対して研ぎ澄まされた感覚で殴りかかるようなものだった。
遠藤ミチロウの表現は、当時の日本において非常に孤独で、しかし確かに誰かの心を撃ち抜いた。それが彼の「表現」であり、「生きていることの実感」だったという言葉は、今なお、反骨と芸術の交差点に響く重みを持っている。
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