Wednesday, June 11, 2025

汚れた水と生きる――インド・ヒ素汚染と宮崎大学の草の根協力(2009年2月)

汚れた水と生きる――インド・ヒ素汚染と宮崎大学の草の根協力(2009年2月)

2000年代後半、世界では「水の世紀」とも称される課題が顕在化していた。とくにアジア地域では、飲料水の安全性が深刻な社会問題となり、国際協力機構(JICA)をはじめとする開発支援の関心が、水インフラから「水質そのもの」へと向かっていた。

その象徴的な舞台となったのが、南アジア・インドである。とりわけベンガル地方を中心に、地下水に含まれるヒ素によって中毒が多発し、慢性的な健康被害――皮膚病や癌、免疫疾患――を引き起こしていた。表面的には豊かな地下水を抱える農村だが、それが命を蝕む毒となる。貧困と無知の上に降りかかったこの見えない災禍に、草の根から立ち向かったのが、日本の宮崎大学とNPO法人アジアヒ素ネットワーク(宮崎市)であった。

2008年6月、彼らはJICAの「草の根技術協力事業」として約5000万円の助成を受け、現地入りした。調査は、2年計画で進められた(2008年〜2010年)。まず取り組んだのは、汚染された井戸の分布と水質の詳細な把握。行政が把握できていない地域でも、住民との信頼関係を築きながら一軒ずつ調査を重ね、ヒ素濃度が国際基準を大きく上回る井戸を特定していった。

地元では、井戸水が唯一の水源である家も多く、長年使用してきた水が"毒"であるという事実を受け入れるには時間が必要だった。調査チームは、説明会や啓発活動を何度も実施し、「透明な水が安全とは限らない」ことを伝える努力を続けた。その対話の積み重ねの上に、住民が協力し合って新しい井戸の候補地を提案する姿が生まれた。

彼らの支援は、単なる物的提供にとどまらず、自立的な維持管理体制をも視野に入れていた。代替井戸の掘削候補地の選定は、あくまで住民主体で行われ、技術的支援として宮崎大学の専門家が地質と水質の評価を行う。新たな井戸の設置後も、水質チェックや保守を担う地域リーダーの育成が進められた。

このような支援は、日本の高度成長期に経験した「四大公害病」や水俣病の記憶とつながっている。日本もかつては、地下資源の乱用と環境行政の遅れにより、無数の健康被害を生み出した国だった。だからこそ、日本の大学や市民団体には、単なる先進国からの"上からの技術移転"ではなく、「かつての自分たちと同じ苦しみ」を抱える人々への連帯と支援の精神が根づいている。

2009年当時、こうした「顔の見える支援」「住民とともにある技術協力」は、世界の開発援助における新しい潮流となりつつあった。インドの大地で、井戸を囲んで交わされた言葉の一つひとつが、国境を越えた市民同士の信頼を築いていたのである。

――この記録は、表に出ることの少ない技術支援の裏にある、静かで深い対話の軌跡である。

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