音を以て語る者たち――昭和の末に現れし沈黙の三人組(昭和六十年代末〜平成初年)
ザ・ブランキー・ジェット・シティは1987年、浅井健一、照井利幸、中村達也の三人により結成された。1989年に『いかすバンド天国』へ出演しその名を知られるようになったが、彼らの本質はテレビとは無縁な、黙して語らぬ硬派な音にこそあった。ライブではMCひとつ挟まず、鋭く刺すようなサウンドだけが場を支配した。
言葉を嫌い、記者の問いにも名古屋弁で一言返すばかり。「書きたいことを書いただけだがや」。まるで音を言葉にすることを侮辱とでも思っているようだった。代表曲「赤いタンバリン」「ディズニーランドへ」「悪いひとたち」などは、都市と暴力、若者の焦燥を叩きつけるように鳴り響き、すべての説明を拒んでいた。
1991年、ロンドンで録音されたファーストアルバム『Red Guitar And The Truth』が発表された。渡航中、浅井は入国審査で「オー・イエー!」と叫び、ポンド紙幣を見せつつギターを弾く真似で入国目的を示したという逸話が残る。その姿に笑いながらも、彼らがいかに音楽以外に無関心だったかを如実に物語っている。
「俺たちさ、こういうところで言いたいことなんか何にもないんだぎゃあ」――浅井がある日、ぽつりとそう漏らした。言葉を捨て、ただ音を刻むことに己を賭けた者たち。その潔さと無言の強さは、1990年代の日本ロック史の中でも異彩を放っていた。
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