1976年、イタリア北部セベソのICMESA化学工場で事故が起き、猛毒のダイオキシンTCDDが周辺地域へ放出された。住民の避難や動物の大量死、汚染地域の除去作業が続き、ヨーロッパ社会に化学物質事故の恐ろしさを刻みつけた。WHO資料でも、事故後にクロロアクネなどの健康被害が確認されている。 さらに問題となったのが、汚染土壌の行方だった。掲載資料では、汚染土壌を詰めたドラム缶が国外へ運ばれる途中で1982年に行方不明となり、翌年フランスで発見され、1985年にスイスのバーゼルで焼却された経緯を紹介している。そして、このセベソ汚染土壌搬出事件を、有害廃棄物の越境移動規制を促した重要な契機として位置づけている。記事にはバーゼル条約の解説が収録されている。 ただし、バーゼル条約成立の背景はセベソ事件だけではない。バーゼル条約事務局によれば、1980年代に先進国からアフリカなどへ有害廃棄物が持ち込まれたことへの国際的反発が大きな直接要因となった。UNEPを中心に交渉が進み、1989年3月22日に条約が採択され、1992年5月5日に発効した。条約は有害廃棄物の発生抑制、適正処理、国境を越える移動の制限と管理を柱としている。 なお、1976年のセベソ事故そのものが直接生んだ制度としては、EUのセベソ指令がより明確である。1982年に導入され、危険物を扱う工場の事故防止、リスク評価、緊急対応を強化した。セベソからバーゼルへ続く歴史は、毒物を工場の中だけの問題ではなく、国境を越えて追跡し管理しなければならない問題へ変えた過程でもあった。
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