清純の時代―戦後の可憐派女優たち(1945〜1955)
1940年代末から1950年代前半にかけて、日本映画は復興の象徴として観客に慰めと夢を与える役割を担っていた。戦中の検閲や戦意高揚映画の反動として、観客は戦争を忘れさせてくれる柔らかな情感を欲しており、映画界もそれに応える形で「純愛」「再生」「希望」をテーマに据えた。久我美子、桂木洋子、原節子らが人気を博したのは、こうした空気の中で「清楚」「気品」「慎ましさ」という価値が国民的理想像と重ねられたからである。
赤瀬川原平が「当時はエロティシズムは外国映画に求めた」と語るように、日本映画では性的魅力が抑えられ、代わりに心の美しさや犠牲の愛が称揚された。ハリウッドやフランス映画ではブリジット・バルドーやリタ・ヘイワースのような肉体的魅力が前面に出ていたのに対し、日本ではまだ敗戦の痛みと倫理的自制が根強く、スクリーン上の女性像にも「清らかで母性的な理想」が求められた。
特に桂木洋子は、戦後の都会生活が広がる中で、新しい日本女性としての純粋さを象徴した。彼女の静かな微笑みや慎み深い仕草は、社会の混乱と倫理の再構築期にあって、観客に安らぎを与えるものであった。これは同時代に活躍した原節子や久我美子にも共通しており、彼女たちは戦後日本人の心に「清楚で気高い女性こそ再生の希望である」という印象を刻んだ。
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