赤旗事件 ― 大正デモクラシー期における思想と権力の激突(1908年)
赤旗事件は1908年(明治41年)に東京で起きた社会主義者の集会をめぐる弾圧事件である。社会主義者たちは「平民社」を中心に集まり、労働者の解放や階級闘争を訴えるなかで、象徴として「赤旗」を掲げた。この赤旗は国際的に社会主義運動を象徴する標識であり、日本の官憲にとっては体制秩序への挑戦にほかならなかった。
当局はこれを重大な脅威とみなし、軍隊まで動員して集会を強制的に解散させた。参加者は一斉に検挙され、幸徳秋水をはじめとする社会主義者が投獄された。その過程で過酷な取り調べや拷問が行われ、思想運動は一時壊滅的な打撃を受けた。事件ののち、社会主義者の活動は表舞台から姿を消し、地下活動や国外への亡命に追いやられた。
時代背景としては、大正デモクラシーの胎動期で、都市化と労働問題が深刻化する一方、国家は日露戦争後の財政難や社会不安に直面していた。政党政治が徐々に展開するなかで、社会主義や無政府主義は「治安を乱す危険思想」として敵視され、弾圧の対象となった。特に1900年制定の治安警察法は労働運動や集会結社を厳しく制限しており、赤旗事件はその最も象徴的な適用例となった。
赤旗事件は運動に深刻な後退をもたらしたが、同時に社会主義思想を「権力と真正面から対立するもの」として世間に強烈に印象づけた。以後の無産運動は、この事件を象徴的な出発点として記憶し、弾圧と抵抗という構図の中で展開していくこととなった。
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