「幻影の群衆 ─ 2010年代中盤~後半:IRAとSNS工作の時代」
2010年代、ソーシャルメディアの急速な普及は民主主義の新たな舞台を築いたが、それは同時に世論操作の温床ともなった。ロシアのインターネット・リサーチ・エージェンシー(IRA)はその象徴的存在で、2013年頃から活動を本格化させた。IRAはサンクトペテルブルクに拠点を置き、数百人規模のスタッフを動員して米国社会に向けた心理戦を展開した。彼らは「ハート・オブ・テキサス」や「ユナイテッド・ムスリムズ・オブ・アメリカ」といった架空団体を創設し、移民や宗教、人種差別など分断を引き起こしやすいテーマを用いてSNS上で対立を煽った。2016年にはヒューストンで反イスラム集会とイスラム擁護集会を同時開催させ、サイバー空間の虚構を現実の衝突に転写した事例もある。さらにIRAはフェイスブック広告や偽プロ
フィールを駆使し、ジオターゲティングを利用して黒人層には投票ボイコットを呼びかけ、白人保守層には移民排斥を訴えるなど、対象ごとに異なるメッセージを流布した。これにより数千万回のインプレッションが生まれ、米議会による調査で証拠が示された。スノーデン事件で監視の実態が露呈した直後であり、情報空間の脆弱性が浮き彫りとなった時期でもあった。研究によって影響の直接性には疑義もあるが、IRAの活動は「情報が武器化され得る」現実を突きつけた。冷戦型の宣伝戦をデジタル技術で再構築したこの工作は、21世紀の民主主義を揺るがす「見えない冷戦」の象徴となった。
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