Tuesday, September 23, 2025

「寅さん」と香具師社会 ― 1920年代の現実と映画の虚像

「寅さん」と香具師社会 ― 1920年代の現実と映画の虚像

山田洋次監督の映画『男はつらいよ』は、1969年に第1作が公開され、日本の戦後を象徴する国民的シリーズとして知られる。主人公・寅次郎は、革のトランクひとつで全国を旅し、気ままに商売をする「香具師」として描かれた。彼の人情味あふれる生き方は、多くの観客に「自由」と「庶民性」の象徴として受け入れられた。しかし、この映画的イメージはあくまで理想化されたフィクションであり、1920年代の現実の香具師社会とは大きくかけ離れていた。

当時の香具師は、縁日や祭礼で露店を構える際、必ず「一家」や「組」と呼ばれる組織に属し、その統制下で商売を営んでいた。祭礼の境内や街道に並ぶ露店は、地域の香具師一家が仕切り、親分の許可なく勝手に出店することはできなかった。つまり「親分子分制度」を基盤とした社会であり、自由な一匹狼が好き勝手に商売をする余地はほぼ存在しなかったのである。

この背景には、明治末から大正期にかけての急速な都市化と大衆文化の拡大があった。都市の祭礼や見世物興行は膨大な人出を集め、その利権をめぐって警察と香具師組織、さらには博徒ややくざとの関係が複雑に絡み合った。香具師は単なる商人ではなく、秩序と支配の網の目に組み込まれた存在だった。1920年代は特に社会主義思想や労働運動が高揚し、関東大震災(1923年)後の混乱期には、香具師が庶民の生活や都市の秩序に直結する役割を担っていた。

このような時代背景を考えると、映画の「寅さん」は、現実の香具師像を下敷きにしつつも、戦後社会の観客が求めた「失われた庶民的自由」を投影した虚像といえる。現実の香具師は親分の支配を受け、組織と警察権力の狭間で生きる存在だったが、スクリーン上の寅さんはそれを超越し、庶民が憧れる「自由な渡世人」として再構築されたのである。

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