サロメの幻影と三笠万理子の映画会社の夢 ― 1920年代日本映画界
女優・三笠万理子を中心に映画会社を作ろうという話が持ち上がり、語り手自身も幹部のひとりとして加わった回想が残されている。当時の万理子には「サロメ」のような強烈な雰囲気が漂い、佐藤紅緑が惚れ込み、夢中になるのも当然だと語られている。華やかでありながらもどこか退廃の香りをまとうその存在感は、当時の映画界にひとつの幻影を投げかけた。
しかし、その会社は結局のところ一本の映画も世に送り出すことなく頓挫した。語り手はその過程を淡々と振り返りつつも、当時の熱気と挫折の落差をにじませている。文壇人や芸能人が交錯し、新しい表現の場を模索した1920年代の日本映画界は、まだ確かな基盤を持たず、夢の多くが資金や配給の壁に阻まれて消えていった。
史実を補うと、三笠万理子(本名・横田シナ 1893–1972)は佐藤紅緑と結婚し、1924年には『小豆島』『母』『光明の前に』といった作品に出演している。紅緑は同年、東亜キネマの所長に就任し、映画研究のため欧州にも渡っている。外部資料には「佐藤プロ」なる独立系の映画制作の試みが記されており、そこで万理子が主演した形跡も確認できる。つまり、公開に至った作品がある一方で、別の独立プロジェクトが計画倒れに終わった可能性が高い。
夢は確かに存在し、しかしその夢が作品として結実することは稀だった。三笠万理子をめぐる映画会社設立の回想は、当時の日本映画界における熱狂と挫折の象徴として、今も鮮烈な残響を残している。
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