女性歌手の原像 ― 松原操と「ミス・コロムビア」 1930年代~1980年代
松原操は大正3年に生まれ、戦前から戦後にかけて長く活躍した女性歌手である。「ミス・コロムビア」の名で親しまれ、整った容姿と澄んだ声質で、女性歌手の先駆けと称された。昭和初期の代表作「三百六十五夜」は、恋人を待ち続ける女性の心情を描いた曲で、哀愁を帯びながらも端正な歌唱によって、庶民の心に深く浸透した。戦前の日本は都市化とモダン文化が広がり、レコードとラジオが家庭に入っていく時代であり、この作品はそうした時代の空気を色濃く映し出していた。
松原はまた「侍ニッポン」「純情二重奏」などの曲でも知られ、女性歌手が男性に伍して人気を得る道を開いた。戦中は国策に沿った歌を歌わざるを得ず、慰問活動に従事するなど国家の要請に応じたが、これは当時の多くの芸能人が避けられなかった運命でもあった。戦後は再びレコード会社の看板歌手として活動し、安定した人気を保ち続けた。
同世代の淡谷のり子が「別れのブルース」でブルースの女王となり、渡辺はま子が「支那の夜」で異国情緒を前面に押し出したのに対し、松原は清らかで端正な声を生かした正統派歌手として評価された。その姿は「安心して聴ける歌手」として庶民の暮らしに溶け込み、戦前戦後を通じて幅広い世代に受け入れられた。
昭和62年に没したが、その生涯は日本における女性歌手の原点を体現し、時代と共に歩んだ大衆音楽史そのものを象徴している。
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