Saturday, September 27, 2025

光文社労使紛争と刑事事件化の時代―1975年の労働運動の亀裂

光文社労使紛争と刑事事件化の時代―1975年の労働運動の亀裂

1975年の日本は高度経済成長の終焉を迎え、石油危機の余波で不況とインフレに苦しんでいた。経済の停滞は労使関係を不安定化させ、賃金抑制や人員整理への不満から労働争議が頻発した。出版や印刷の業界でも、長時間労働や低賃金への抵抗が強まり、経営側との対立は深刻化していた。こうした緊張のなかで、光文社では二年以上にわたる労使紛争が続き、やがて組合員の逮捕や家宅捜索へと事態は発展する。

一時は暴力団が労組を支配するという異常な状況も生まれた。暴力団支配が終息すると、今度は国家権力が積極的に動いた。警視庁公安二課と大塚署は、光労組の福山委員長をはじめとする幹部十三人を暴力行為や傷害の容疑で一斉に検挙した。逮捕は中労委での調停直前に行われ、まるで司法的介入によって幕引きを図るかのようであった。この過程は、単なる職場の問題が刑事事件へと転化する典型例であり、社会的注目を集めた。

市川元夫は、同僚が次々と逮捕される事態を「異常」と断じ、解決は話し合いによってしか導けないと強調した。一方で清水徳三郎は、組合活動の拡大が周囲に迷惑を及ぼしており、逮捕も妥当と考えた。内部での意見の分裂は、労働運動が抱える路線対立を映し出し、労使の対立が社会全体に波紋を広げる状況を示していた。

光文社は1945年に創業された総合出版社で、戦後まもなくから女性誌、文芸誌、推理小説や学術書まで幅広い出版活動を展開し、講談社や集英社と並ぶ大手出版社の一角を担っていた。看板雑誌『女性自身』をはじめとする大衆誌は高い発行部数を誇り、社会的影響力も大きかった。しかし1970年代に入ると、出版不況の影響と人員削減圧力のなかで労働条件が悪化し、労組の反発が強まった。光文社の労使紛争は、出版界における労働運動の代表的な事件とされ、文化産業が経済不況と社会不安の渦に巻き込まれる象徴ともなった。

同時代の他の事例と比べると、この事件の特徴がさらに鮮明になる。郵便労働者の全逓による大規模な争議では、政府はストライキを「違法」と断じて弾圧し、労働権の行使が治安維持の名のもとに制限された。1974年の三菱重工爆破事件は、労働運動とは直接関係がないものの、社会に「過激化した労働運動=治安の脅威」という印象を広げ、結果として光文社のような労使紛争にも警察介入を容易にした。

光文社事件は規模こそ限定的だったが、文化産業においても刑事事件化が起こり得るという事実を示した点で象徴的である。高度成長後の不況期に、労働運動はしばしば「事件」として処理され、組合の正当な活動と暴力的要素とが混同されやすい状況が形成された。これは1970年代半ばの日本社会における労働運動の矛盾を映し出す鏡であり、その亀裂は経済と政治の両面で深く刻まれていたのである。

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